今週もやってまいりました!『カンブリア宮殿』の放送日12日ですよ〜。

今回スポットライトを浴びる会社は「矢場とん」です。名古屋といえば、味噌カツ。味噌カツといえば矢場とんですね。

その女将【鈴木純子】さんが実際に奮闘して、今の人気店に成長させたその方法などを紹介してくれるようです。

早速、女将【鈴木純子】さん、そして夫鈴木孝幸さん、長男で現社長の鈴木拓将さん他ご家族の事や気になる事調べてみました。

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鈴木純子、プロフィールや学歴、経歴は?

鈴木純子

名前:鈴木 純子(すずき じゅんこ)

出身地:名古屋市南区

1947年生まれ、月日はわかりませんでしたが現在年齢は68歳か69歳ですね。人と関わる仕事をされているので、やっぱりイキイキしていて健康的に見えますね。

1968年に東海学園女子短期大学を卒業しました。そして、卒業して3年後の1971年に鈴木孝幸氏(矢場とん二代目)とご結婚されました。

鈴木純子さんはサラリーマンの家庭に生まれ育ったそうで、都会のレストランに嫁ぐ事を少し夢に見ていたようですが、当時の矢場とんは串かつやとんかつはもちろん、焼きそば、パスタなどもメニューに並ぶ、なんでもある大衆食堂だったそうです。

そして、新婚さんならちょっとは甘い生活を夢見るとは思うのですが、嫁ぎ先は昔店舗として使っていたところで、姑や住み込みの店員5~6人と一緒に暮らす生活だったそうです。新婚ムードもなにもなく、生活するのに夢中な毎日だったと思います。

そんな中、お店の経理を担当しながら子育てもされていたそうです。お店の気になる事や改善したい事を口にしても、入ったばかりの嫁という立場の鈴木純子さんに耳を貸す人はいなかったようです。この時の社長は、先代鈴木義夫氏に先立たれたお姑さんで、お嫁さんである純子さんの話は聞いてもらえなかったようですね。お姑さんも無我夢中だったかもしれませんね。

矢場とん3

頼りの夫・鈴木孝幸さんはどうだったのでしょうか?

私驚いてしまったのですが、なんと2代目でありながら、熱狂的なファンである中日ドラゴンズを追いかけて応援していたそうで…お店にも家にもほとんどいなかったそうです。

純子さん、よく耐えましたね。私なら、投げ出しそう…誰にも相談できないし、居場所がないような感じの中、仕事をされていたんですね。

2代目鈴木孝幸さん、気になりますね!

鈴木純子の夫、矢場とん2代目鈴木孝幸について

鈴木孝幸

1947年名古屋市生まれ。1970年に愛知学院大学を卒業されました。大学在学中から観光ホテルの洋食部門でアルバイトをしながら料理の勉強をしていたようです。大の中日ドラゴンズファンはこの頃もだったようで、球場でもアルバイトをしていた事があったようです。このアルバイトが縁で、味噌カツの屋台を当時の中日スタジアムに出す事ができたそうです。

大学卒業後はアルバイトをしていた観光ホテルに就職したようですが、そのホテルが改装の際に、少し体を壊してしまったようで実家に戻ってきて矢場とんの厨房に立つ事になりました。この時鈴木孝幸さんは24歳でした。

昔からの中日ドラゴンズファンなんですね。料理の修業もしていたようですが、結婚された安心しちゃったのでしょうかね。奥さんの発言にもう少し耳を傾けて欲しかったですね〜!

鈴木純子2

そんな鈴木孝幸さんが矢場とんの社長に就任したのは1980年でした。鈴木純子さんが嫁いできたのが1971年なので、9年後に社長になったんですね。

家族経営や現社長である長男鈴木拓将氏、ボランティアについては次のページで!