「情熱大陸」は、いつもすごく興味深い人を取り上げてくれますね。ときには有名人を取り上げていますが、全く知らない方たちを多く取り上げてくれるので、とても楽しいです。
15日(日)の「情熱大陸」では、内視鏡医【大圃研】さんに密着しその技術などを紹介してくれるようです。
なので、今回はイケメン内視鏡医である【大圃研】さんのことを調べてみたいと思います。
大圃研、プロフィールや経歴は?
名前:大圃 研(おおはた けん)
1974年の42歳
出身地:東京都
誕生月や日にちはわかりませんでしたが、まだ42歳とお若いんですね。お医者さんって年配の方のイメージがあって40代でも若く感じます。
そして、目鼻立ちがくっきりしているのでワイルドな感じのイケメンですね。
お祖父様、お祖母様、そしてお父様が医師という家系で東京に生まれ、その後育ったのは茨城県。小さなコミュニティーの中で、自分は医師になると当たり前に考える環境だったようです。
そして医師になるため、日本大学医学部に入学されました。医師国家試験に合格してしまえば、出身大学は関係ないこと、そしてその中から馴染みのある大学として日本大学医学部を選ばれたようです。
日大医学部を卒業したのは1998年でした。大圃研先生は卒業間際に、消化器外科から消化器内科に進むべき道を変更しました。それにはご実家の病院が入院施設を持たないクリニックに形態を変えたことが関係しているようです。卒業後医師の進む王道、医局には所属されずに(卒業間際の方向転換で医局のローテーションに入らず)JR東京総合病院に所属されました。
JR東京総合病院も医局に属さない医師を雇えないと当初は話していましたが、その後非常勤の嘱託医として勤務されていたようです。非常勤医師時代は月給2万円時代も経験されていたと『情熱大陸』では紹介されていますね。大圃研先生にとっては、毎日学びの日々で大変とか、辛いとかはあまり思わなかったのではないでしょうか。
30歳を過ぎた頃にようやく少し付くお給料をもらえるようになり、一つの病院で多くのことを経験され消化器内科医長へ就任。経験は10年にもなっていました。
そして10年の実績を持ち、内視鏡のスペシャリストとなっていた大圃研先生の元へは、多くの病院からオファーが来るようになっていきます。
そのオファーの中から、NTT東日本関東病院へ移ることになる。移った理由は、一人で仕事をするには限界があり、この病院ならチームで仕事ができると思ったからだと話されています。37歳という異例の若さでNTT東日本関東病院内視鏡センター医長に就任しました。
大圃研はESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)の第一人者
大圃研先生の専門は、消化器・内視鏡、早期がん(食道・胃・大腸)に対する内視鏡治療ですが、先生が研修医から専門的に学んできた内視鏡。
技術は年々新しくなり、現在ではESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)が従来の開腹手術などの外科手術に代わる新しい治療法として注目されています。
そしてこのESDの第一人者が大圃研先生なのです。
大圃研とESD(内視鏡的軟膜下層剥離術)、そして世界で活躍?
日本で開発され最初に行われたのが1998年で、大圃研先生がやり始めたのが2000年です。
食道、胃、大腸の壁は粘膜層、粘膜下層、筋層という3つの層からできていますが、がんの発生は、最も内側の層である粘膜層で、早期がんの中でもさらに早期の病変に対し、胃カメラや大腸カメラで消化管の内腔から粘膜層を含めた粘膜下層までを剥離し、病変を一括切除するという治療法だそうです。
新しい治療法が出てきているんですね。技術の進歩って素晴らしいですね。それを使いこなせないと意味がないですが、経験が力になってくれますね。
大圃研先生が来る以前のNTT東日本病院の胃がんのESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)の実績は、年間100件あまりだったそうですが、大圃研先生が来てからは年間200件に跳ね上がり、同時に食道がん大腸がんの内視鏡治療も導入されています。
今までの実績と現在の取り組みで、助けられる方たちが増えてきているんですね。すごいですね!!件数が2倍になるなんて。
大圃研先生のチームでやっていきたいと言っていましたが、現実になっているんですね。以前のインタビューでは、チームは6人体制となっているようです。
大圃研先生は、上記のように日本にとどまらず海外でも認められ、世界にESDのことを伝えに行かれているようです。大圃研先生が率いる「内視鏡部」の大腸ESD症例数は年間日本一だそうですが、その経験を実際に学びたいという方が多いのでしょうね。
気になる大圃研先生の結婚、家族、実家の病院については次のページで!