8月13日(土)に放送される「土曜プレミアム」ですが、テーマが

『栄光なき天才たち~名も無きヒーローに学ぶ幸せの見つけ方~』

となっています。

名前が知られている有名な方がヒーローとして脚光を浴びますが、今回は名前は多くは知られていないですが、間違いなくヒーローである方達を紹介してくれるようです。

今回は【スティーブ・ウォズニアック】さんについて調べてみようと思います。

アップルのパソコンの原型をたった1人で作り上げ、アップルの名を世界に知らしめたというスティーブ・ウォズニアックさん。

アップル創設者の一人であるスティーブ・ウォズニアックさんについて調べてみます。

目次

  1. スティーブ・ウォズニアック(ウォズ)さんのプロフィール、経歴は?(1ページ目)
  2. スティーブ・ウォズニアック(ウォズ)さんアップル創設について(1ページ目)
  3. ウォズさんとスティープ・ジョブズさんの関係は?不仲?親友?(2ページ目)
  4. スティーブ・ウォズニアック(ウォズ)さんの今現在は?(2ページ目)
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スティーブ・ウォズニアックさんのプロフィール、経歴について

出典:http://news.livedoor.com/article/detail/9638367/

出典:http://news.livedoor.com/article/detail/9638367/

名前:ステファン・ゲーリー・ウォズニアック(Stephen Gary Wozniak)

別名:The Woz(ウォズ)

生年月日:1950年8月11日(66歳)

出身地:アメリカ合衆国カリフォルニア州サンノゼ

Stephen(ステファン)が短縮系になってSteve(スティーブ)になっているんですね。

ディズニーのキャラクーになりそうな、可愛らしい感じの方だったんですね。初めてお顔を知りました。クマさんみたいです。

ウォズと短く呼ばれることが多く、ウィザード・オブ・オズ(オズの魔法使い)にひっかけて、ウィザード・オブ・ウォズともいわれています。

そしてまだ66歳とお若いですね。

スティーブ・ウォズニアックさん(ウォズ)は、ロッキード社のエンジニアで、衛星の設計に従事していたお父様の元に誕生しました。

そして、シリコンバレーのサニーベールで育ち、お父様やトム・スイフトの空想科学小説シリーズに影響を受け、技術や科学に興味を持ち始めたそうです。

6歳(11歳と書かれているものもあります。)の時、アマチュア無線の免許を取得し、自作キットのアマチュア無線機を組み上げたこともあったよう。

10歳でコンピュータらしきものを作ったり、年齢を重ねるにつれ熱心にコンピューターを作るようになっていったそうです。

13歳の時には、トランジスタの組み合わせによる原始的なコンピュータ(二進加減算機)で科学コンクールに優勝した経験もあるようです。

自分の同じ年齢の時を考えると…遊びに興味があって外を走り回っていましたが、それと同じようにウォズさんの興味もコンピュータで遊んでいた感覚に近かったと思います。

1971年、ヒューレット・パッカードの夏季インターンシップで働いていたときに、スティーブ・ジョブズさんと知り合い、いろいろと正反対の二人であったが、すぐに意気投合しこれから2人の歴史が始まります。

もともと2人は近所に住んでいたようですが、年齢も違うので接点がなかったんでしょうね。

ウォズさんはコロラド州立大学に入学したようですが、1年で中退。その後カリフォルニア大学バークレー校に入学しますが、学業が成り立たなくなり、1973年に大学を休学します。

その後夏季インターンシップをしていたヒューレット・パッカードに入社し、電卓設計の仕事に就きました。

アップル

また、社員時代に、友人のスティーブ・ジョブズさんの依頼でアタリ(企業) 仕事を手伝ったが、この時ジョブズさんは山分けと称して報酬額をかなり過少に伝え、そのほとんどを自分で手にしていたそうです。

スティーブ・ジョブズさんのイメージがだんだん変わってきちゃいました。

スティーブ・ウォズニアックさんアップル創設について

1974年にウォズさんとスティーブ・ジョブズさんは、地元のコンピュータマニアの集まりであったホームブリュー・コンピュータ・クラブ(「自家醸造」コンピュータ・クラブ)に参加するようになりました。

そのクラブにウォズさんは、1976年3月にアップルIという基板だけのコンピュータを作って持っていったそうです。

出典:スティーブ・ウォズニアックwikipedia

出典:スティーブ・ウォズニアックwikipedia

そしてこのコンピューターを、スティーブ・ジョブズさんが売ろうといい、4月1日、アップルコンピュータが設立されました。

驚くべき速さの展開ですね!

スティーブ・ジョブズさんはフォルクスワーゲンを売り、ウォズさんはヒューレット・パッカードの科学技術計算用電卓を売り払って1300ドルの資本を作ったそうです。

アップルコンピュータが創設されたので、ウォズさんは1976年にヒューレット・パッカードを辞めました。

その後処理能力の向上と外部ディスプレイへのカラー表示など、アップルIを改良したアップルⅡを1977年6月に発表、これはウォズがほとんど独力で開発したそうです。

出典:スティーブ・ウォズニアックwikipedia

出典:スティーブ・ウォズニアックwikipedia

1,298ドルしたApple IIですが、爆発的に売れ、1980年にアップルは株式公開を果たし、ウォズさんには1億ドルを超える創業者利益が転がり込んだようです。

1976年にアップルを創業して、4年で億万長者になったなんて、すごいですね。ウォズさんの技術力とスティーブ・ジョブズさんの先を見る力と経営力があったからなんだろうな。

ウォズさんはスティーブ・ジョブズさんについて、

「Apple IとApple IIについては、ジョブズは殆ど何の役割も果たさなかった。ジョブズは技術をわかっていなかったし、ソフトウェアについてもわかっていなかったから。」

「Apple IIはAppleが設立されてから10年の間、唯一成功した製品だ。そしてこれは全て僕自身の努力によって生み出されたものなんだ。ジョブズはこの製品がこの世に現れるまで、この製品の存在すら知らなかったんだ。」

引用:小龍茶館、ウォズ:ジョブズはAppleの初期製品開発には何の役にも立たなかった

と話しています。正反対の2人で、役割も決まっていた感じですよね。

スティーブ・ジョブズさんもエンジニアだと思っていたので、びっくりしました。

 

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