川原正孝、学歴や経歴、兄弟は?
名前:川原 正孝(かわはら まさたか)
生年月日:1950年3月18日(66歳)
出身地:福岡県福岡市
ふくやのある中洲で生まれ、福岡高校を卒業し、昭和44年に甲南大学へ進学されました。大学では学業に専念せず、アルバイトと高校時代から続けていた空手に明け暮れていたのだそうです。
昭和40年代は景気もよく、大学3年生のうちから就職の内定をもらっていたり、大手の会社にも入りやすい状況だったようですが、川原正孝さんは就職活動はせずにアルバイト先でずっと働こうと思っていたようです。現在のお顔からは想像できないイメージです。
そこで心配したのがお母様の千鶴子さんです。川原正孝さんには1943年生まれの川原健さんというお兄様がいます。お母様は健さんに相談し、健さんの勤め先である福岡相互銀行(旧福岡シティ銀行)で面接を受けられることになり、試験を受けましたが散々な結果に(笑)ただ、お兄様のことを知っている銀行なので健さんの弟なら大丈夫だろうと採用になったそうです!お兄様の人柄などが良かったからなんでしょうね。
そんな気になるお兄様、川原健さんについて少し調べてみました。
川原健(かわはらたけし)1943年満州生まれ。一度は東京に出ていきたいと思い、慶應義塾大学に進学されました。お兄様、上京したくて大学入学するなんてすごいです。東京を満喫されたのでしょうか、卒業後は福岡に戻って福岡相互銀行(旧福岡シティ銀行)に入行しました。19年間で支店長を2回、部長を経験されています。
銀行に就職されてからの川原正孝さんは、入社した同期の中で最下位の試験結果だったようで、そのことから負けられないという思いが強かったのでしょう。誰よりも営業活動を頑張ったそうです。やるときはやると決め、1日に50〜100件のお客さんを回ったりリサーチしたり実績を作っていきます。空手をやり、スポーツマンだった川原正孝さんは負けず嫌いだったんでしょうね。
順調に銀行で活躍していた昭和54年の夏にお父様、川原俊夫さんから家業の「ふくや」を手伝って欲しいと話がありました。俊夫さんは当時67歳で胃潰瘍を患い体調が悪かったようです。そして、昭和55年にお父様、俊夫さんは残念ながら亡くなってしまいます。その後お母様が、社長に就任、昭和55年10月に川原正孝さんは銀行を退職し「ふくや」の取締役営業部長に転職。その後、お兄様の川原健さんが昭和59年に銀行を退職し、「ふくや」専務に就任、そして平成6年に社長・平成9年に会長になると同時に川原正孝さんも常務、副社長を経て社長へ就任されました。
ご兄弟で支え合いながら「ふくや」を守るために努力されているんですね。お父様とお母様が築き上げたお店ですものね。
川原俊夫から学んだ地域の信頼とは?
67歳という若さで亡くなってしまった先代・川原俊夫さんですが、健さん・正孝さんは多くのことを学ばれたと思います。
川原俊夫さんは「この町とともに発展していく会社でありたい」と話され、様々な社会貢献活動に取り組んでいました。それを間近で見ていた健さん、正孝さんは現在も地域と深く関わり、祭り(博多山笠・博多どんたくなど)や伝統芸能・イベントなど、年間約40件を超える催しに協賛しているそうです。
明太子を有名にしてくれた福岡の人のため、貢献したい思いが溢れています。味の研究ももちろんされていますが、地元のお客様に寄り添い地域が活性化していけるように手助けをしています。
このような活動が地元の方の「ふくや」に対する信頼となり、多くの方に愛される会社になっているのだと思います。これからも地域のために活動を続けて欲しいですね。「ふくや」が明太子を売ることによっても、福岡の名前が売れますし、地元へ観光客が来てくれるようになりますよね。お互い支えあって発展していく関係になっているんですね。
まとめ
「ふくや」の経営など詳しいことも『カンブリア宮殿』番組内で色々とお話ししてくれると嬉しいですね。今後も「ふくや」が発展していくために色々と考えていらっしゃると思いますが、地域のための活動は今後も続けて欲しいですね。
明太子はスーパーで手に入りますが、やっぱり本場の味を食べたいですね。アツアツご飯に明太子、想像するだけでお腹が空いてきます。お取り寄せしてみたくなっちゃいますね。