7月15日(金)の「爆報!THEフライデー」では、2012年10月2日に41歳という若さで亡くなられた流通ジャーナリスト【金子哲雄】さんの死の裏側を、奥様の【金子稚子】さんが語ってくれるようです。
「爆報!THEフライデー」では金子哲雄さんが奥様の金子稚子さんに残したものが紹介されるようです。
奥様の金子稚子さんの現在や、闘病生活についてなど調べてみました。
目次
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金子稚子さんのプロフィールや経歴は?
まずは金子哲雄さんの妻・金子稚子さんについて調べてみます。
金子 稚子(かねこ わかこ)さんは、1967年(昭和42年)生まれです。生まれつきがわからなかったので正確な年齢はわかりませんが、48歳か49歳でしょうか。
出身地は静岡県清水市で、地元の静岡女子短期大学(現在は静岡県立大学短期大学部)に入学されます。
静岡女子短期大学卒業後は、雑誌や書籍などを手掛ける編集者として活動していました。
出版社や広告制作会社や広告制作ディレクターとしても活躍されていたそうです。
編集者として勤務していた時、本を出版したいと相談に訪れた金子哲雄さんと、2002年、35歳でご結婚されました。
旦那様となったのは金子哲雄さん。
やっぱり、この笑顔が印象的ですよね。金子哲雄さんは、1971年千葉県に生まれ、その後神奈川県横浜市で育ちました。お姉さん2人と弟さんが1人いらっしゃいましたが、小さい頃にご病気で亡くなってしまったそうです。
言葉では表しきれないほどのショックだったでしょうね。兄弟の分まで精一杯生きようと近いその後の人生を送っていかれたんでしょう。
学歴は、慶應義塾高等学校から慶應義塾大学文学部へ入学します。
経済学部に通われていたのかと思っていましたが、何と金子哲雄さんは高校生の時から商売をしていたらしく、その商売をして楽にお金を稼いでいたのでバランスをとるため?に文学部を選ばれたようです。頭の働く人の考え方は、面白いですね。
慶應義塾大学卒業後1994年大手石油会社JOMOに入社し、ガソリンの店頭価格調査などをされていたそうです。これにも思惑があったようで、個人資産で10億円以上を持つ富裕層を顧客にする会社を狙って就職されたようです。
ガソリンの店頭価格調査は、エリアで1リットルのガソリンがいくらで売られているかを調査して、いくらで売ったら自分の店のガソリンを安売りしないで高く売れるかをアドバイスする仕事だったそうです。
これは、金子哲雄さんの得意とする分野ですね。さらに、近隣のスーパーの安売り情報を、オーナーの奥さんに提供して気に入られるようになったそうです。
持っている知識はすべて使って、営業されていたんですね。人が人を呼び多くのお客さんに気に入ってもらえたようです。
そしてわずか1年で会社を退社、独立しコンサルタントとして活動を始め、1999年から「流通ジャーナリスト」という肩書きで、価格調査のセンスや今までの経験を生かした記事を流通専門誌や女性誌へ執筆するようになったそうです。
流通ジャーナリストとして活躍し始めてから、お2人は出会ったんですね。
金子稚子さんが支えた夫・金子哲雄さんの闘病生活
金子稚子さんとご結婚した金子哲雄さんは、結婚当初あのテレビで人気のあった「金子哲雄」というキャラクターではなく、もともと扱いの難しい、キレやすい人だったそうです。
結婚生活をしているうちに、いい面が引き出されたようです。金子稚子さんは、人のいいところを引き出す力があるんですね。
ご結婚後、金子哲雄さんは消費者の目線に立った流通ジャーナリストとして、活躍の場を広げ、2008年頃からはテレビやラジオに出演、そして2010年にブレイクしマスコミで引っ張りだこになりました。
情報番組や、何と言っても「ホンマでっか!?TV」での活躍は記憶にしっかり残っていますよね。
その時はいきなりやってきました。2011年6月、金子稚子さんは役員を務めていた広告制作会社での仕事中、夫・金子哲雄さんからの電話があり、いきなり
「末期の肺がんだって」
といわれたといいます。頭を殴られたようなショックと語ってくれていますが。本当にそうですよね。金子哲雄さん自身も現実味がなかったと思います。
金子哲雄さんは忙しいスケジュールのなか、激しい咳に悩まされ検査を受けに行ったそうです。
検査入院の結果、悪性の腫瘍が肺をむしばむ「肺カルチノイド」と診断されました。肝臓や骨などにも転移していました。数千万人に1人という珍しい腫瘍で、医師に「今すぐ亡くなっても驚かないほどの末期」と言われました。
引用:ヨミドクター(読売新聞)
自分がまさかって思いますよね。なんの根拠もないですが、自分は健康って思っているところがあって、現実として受け止められないんじゃないかと私は思いました。
こんな辛い宣告を受けた後、金子哲雄さんはやりたい仕事が軌道に乗ってきたところだったので、妻・金子稚子さんに「病気を隠して仕事をすることにしたから」と宣言されたそうです。
大阪にある血管内治療の専門病院、ゲートタワーIGTクリニックの堀信一院長のもと、肺にできた腫瘍を小さくする手術を受けたり、放射線治療を別の病院で受けたりと生きる可能性を信じて治療をされました。
金子哲雄さんは自宅で稚子さんと過ごすことが好きだったことから、金子稚子さんは最後まで自宅で自分達らしい生活を送っていこうと決め、在宅医療の体制が整っているクリニックの医師の診察を受け、2012年7月半ばから在宅医療を開始。
金子哲雄さんは朝晩シャワーを浴びるほど清潔好きだったそうなので、毎日の入浴をしていたそうです。当たり前のことができる大切な時間ですね。
金子哲雄さんは酸素濃縮器のチューブをつけたままキャスター付きのいすに座り、金子稚子さんが浴室まで押していき入浴をお手伝いしていたようです。
はじめは自分で髪を洗えたようですが、下を向くと息が苦しくなってしまうようで、「髪を洗って」と頼まれるようになったそうです。
入浴というのは一仕事で体力を使うのですが、「気持ちいいなあ」と喜んでくれていたと言います。幸せな時間ですよね。
死への不安を金子哲雄さんが話されることもあったようですが、頷いて聞いてあげることしかできなかったと金子稚子さんが話されていたことがありました。
終末期の在宅医療で、死というものをおふたりで色々と考え悩んでいたと思います。
12年10月1日。金子さんは主婦向け雑誌の電話インタビューに答えた後で寝入った。深夜に呼吸のリズムがゆっくりに変わり、止まった。いつも診察に来ていた医師が往診し、翌2日、死亡を確認した。
引用:ヨミドクター(読売新聞)
金子哲雄さんは41歳という若さでお亡くなりになりました。
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