今週の「カンブリア宮殿」で取り上げられる会社は、【株式会社ふくや】です!名前を聞いてすぐどんな会社かわかった方たくさんいそうな気がします。が、私は何の会社か想像もつきませんでした。
予告を見て、福岡県の明太子の会社だと知りました。有名なんですね。「ふくや」の社長である【川原正孝】さんが出演されるので、会社のこと社長である川原正孝さんのことを調べてみようと思います!
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先代川原俊夫、ふくや創業
現在の社長「川原正孝」さんのお父様である、川原俊夫さんが『ふくや』を創業されたので、まずはそこから調べていこうと思います。
川原俊夫さんは1913年生まれで、お隣の国韓国釜山で育ち、満州電業会社のサラリーマンをされていたそうです。そこに奥様である千鶴子さんが嫁ぎ一緒に暮らしていました。戦争があったため、川原俊夫さんは沖縄戦へ。その後に敗戦となり、俊夫さんは沖縄から福岡へ、奥様の千鶴子さんは満州から3歳の息子さんと一緒に昭和21年8月に福岡へ帰ってきました。この福岡での再会は2年ぶりだったそうです。
満州から引き揚げた後は、川原俊夫さんの兄の家でお世話になっていたそうですが、長い期間お世話になってはいられないと思い、ちょうど新聞で中洲市場入店の募集があり、奥様の千鶴子さんの希望でお店を持つことになりました。私は、川原俊夫さんの方がお店をやるぞと決めたのだと思っていたのですが、奥様の意見に説得されて「ふくや」を始めたようです。市場に入居したのが昭和23年10月5日、この日をふくやの創立記念日にしているそうです。
戦後の物が不足している時期で、当初は主に乾物などの食料品を取り扱っていたそうです。その後2人の思い出の味、釜山で食べたタラコの味が忘れられず、あれを売れ評判になると思ったそうです。知りあいを頼り韓国のタラコを取り寄せ食べてみると、なんと美味しくない!どうも、その美味しいタラコは日本人向きに味付けが違っていたようなんです。ということで、自分たちでその味を再現しようとチャレンジが始まりました。
川原俊夫、明太子を博多名物へ
川原俊夫さん千鶴子さんの舌が頼りのタラコ作りが始まり、少しづつ改良を重ねながらできた第一弾は昭和24年1月10日に完成しました。これが記念すべき博多明太子の誕生の日です。これで、博多名物になったんだなと思ったんですがが…まだまだ完成には至っていなかったのです。なんと全く売れなかったそうです!
試行錯誤の日々がその後も続いたようです。川原俊夫さんは地域のボランティア活動をされており、その活動に必ず明太子を持参し、みんなに食べてもらっていたそうです。そこで、評価や意見を聞きそれを取り入れ改良を重ねていきました。全く売れないのに、ご夫婦で諦めなかったのですね。そこがすごいなと思いました。そして、意見を聞く姿勢を持っていること、素晴らしいと思います。
なんとその期間は約10年間。昭和35年頃から売れ始め、地元では口コミで知名度が上がっていったそうです。そして、全国区へ飛躍したきっかけは昭和51年の博多への新幹線乗り入れ、そして流通の改善や航空貨物の普及などお土産として、瞬く間に博多明太子は博多を代表とする味になりました。
地元で人気の物は、旅行者は気になりますよね。絶対食べたいって思いますし。そして、一度食べたら忘れらない本場の味というのは、また食べたいってなりますし、人気は続きますよね。
前回の「カンブリア宮殿」で取り上げられた会社はこちら
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気になる現社長川原正孝さんの学歴や経歴については次のページで!