5日(日)の「情熱大陸」ですが、またしても興味深い方が登場しますね。頑張っている人を取り上げてくれる番組が好きな私は、「情熱大陸」大好きです。
今回は、オペラ・ハイコロラトゥーラ歌手として活躍している【田中彩子】さんに密着しているようです。私は失礼なことに名前も存じ上げなかったので、今回は田中彩子さんについて調べたいと思います。オペラ自体よくわかっていないので、敷居が高いですが、頑張って調べます!
目次
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田中彩子さんのプロフィールや経歴は?
名前:田中 彩子(たなか あやこ)
生年月日:1984年2月23日(32歳)
出身地:京都府
すごく綺麗だし清楚な感じがします。32歳なんですね。上の画像だとオペラ歌手には見えないですね。カンツォーネ好きのお父様は三代続く材木問屋の次男だったそうで、京都府北部の普通の家庭で育ったそうです。音楽一家に育ったわけではないんですね。
カンツォーネって?
日本国内においては主に19世紀末から20世紀初頭に書かれたイタリアの大衆歌曲、特にナポリのもの(カンツォーネ・ナポレターナ、Canzone napoletana)を指すことが多い。 引用:カンツォーネwikipedia
カンツォーネ好きのお父様って!かっこいいですね。まだ32歳の田中彩子さんですが、1987年3歳の頃にピアノを習い始めました。カンツォーネに影響されたのかでしょうか。始めた当初は楽しいから習っていたと思いますが、そのうちにピアニストになりたいという夢になり、高校の進路相談で音大を志望したようですが、田中彩子さんの手は子供みたいに小さいようで、1オクターブに届かない…小さい頃からの夢に向かって進むことができないそんな時、歌の先生を紹介されましたようです。
1オクターブの長さってどのくらいか調べてみると、現在の標準は16.5cmのようです。さぁ、皆さんも測ってみてください(笑)私は19cmは指を広げられたので、1オクターブ弾けそうです。
田中彩子さんは紹介された歌の先生のピアノに合わせ音階を徐々にあげていく発声練習で、どこまでも声が出て驚かせたそうです。なんと4オクターブまで届くらしいのです。「100年に1人」の逸材と言われ、ヨーロッパ留学を決意しました。すごい転機になりましたね。夢を追いかけて断念せざるを得なくなって、次の進む道が見つかるなんて本当に導かれているような感じですね。
高校卒業後、18歳でウィーンに留学し一人暮らしを始めました。多くのオペラ歌手を育ててきた著名な宮廷歌手のミルカーナ・ニコロヴァ先生について、声楽を学んだようですが、はじめはドイツ語が分からなくて、身ぶり手ぶりでのやりとりだったようです。普通の高校ならドイツ語なんて学ばないですよね。言葉が通じないって言うのはもどかしく辛かったと思います。
たくさん苦労し、声楽を学び磨かれていった田中彩子さん、22歳の若さで、スイス・ベルンの州立歌劇場において《フィガロの結婚》でソリスト・デビューを飾りました。この劇場では日本人初、且つ最年少での歌劇場デビューとなり大きな話題を集めたようです。その後も田中彩子さんの歌声に、世界中が魅了されていきます。ソリストデビューの翌年には、国際ベルヴェデーレ・オペラ・オペレッタ・コンクールではオーストリア代表として本選出場をしたり、ブルガリアのブルガス国立歌劇場でのヴェルディの《リゴレット》のヒロイン、ジルダ役でのデビューでは 「透き通るような透明感のある声が素晴らしい理想的なジルダ」と評価されました。
そしてオーストリア政府公認スポンサーで2012年から続いたモーツァルト作曲のオペラ『魔笛』のオーストリアの劇場を回るオペラツアーにて、同オペラの”夜の女王” 役を3年間に渡って公演されました。3年間もですよ!すごいですよね。
2013年の南米ブエノス・アイレスで行われたコンサート・ツアーで、「高音は信じられないほど正確、それにもかかわらず響きは柔らかで、まさに天使のよう」と絶賛されました。はい。天使の歌声です。世界中が田中彩子さんの天使の歌声の虜になっていったんですね。
持って生まれたものに気づいてよかったですね。気付ける環境にいて本当によかったと、思いました。ウィーンで本格的に声楽を学ばなければ、天使の歌声を聴くことができなかったかもしれません。
ロンドンのロイヤル・フィル定期公演など各国の指揮者、オーケストラから依頼が相次いでいるようです。コンサート歌手としてもウィーンをはじめフランス、ドイツ、イギリスなどヨーロッパ各国に招待され、現地紙や音楽雑誌で絶賛されている田中彩子さんは、現在もウィーン在住で活動しています。2014年11月には日本のエイベックス・クラシックスからメジャーデビューもしています。
田中彩子さんの天使の歌声や日本公演、ウィーン生活は次のページで!