7月22日(金)放送の「爆報!THEフライデー」に気になる方を発見しました。
美女プロレスラー?アイドルプロレスラー?と言ったらいいのか、とにかく女子プロレス界のアイドルとして活躍した【キューティー鈴木】さんが登場します。
今現在の、キューティー鈴木さんはどのような活動をしているのか、気になったので調べてみようと思います。
目次
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キューティー鈴木さんのプロフィールや経歴は?
まずは気になるキューティー鈴木さんのプロフィールと経歴について調べてみます。
名前:キューティー鈴木(リングネーム)
本名:原嶋(旧姓鈴木) 由美(はらしま ゆみ)
生年月日:1969年10月22日(46歳)
出身地:埼玉県川口市
身長:155cm
血液型:AB型
リングネームは芸名みたいなものなんですね。
埼玉県で3歳上のお兄ちゃんと4歳下の弟の真ん中として成長したキューティー鈴木さん。
男兄弟がいると、たくましく育つのかなとも思いますが、大事にお姫様のように育つこともありますよね。キューティー鈴木さんはどちらだったのでしょうね。
小学生の頃に当時人気だった、女子プロレスラーのタッグコンビ「ビューティーペア」の大ファンになり、心にプロレスラーになりたいと思っていたそうです。
今は、小学生の女の子にも人気なプロレスラーっているんでしょうかね。
キューティー鈴木さんが中学生の時代には、女子プロレスラーのタッグコンビ「クラッシュギャルズ」が大人気だったようです。
クラッシュギャルズは「長与千種」さんと「ライオネス飛鳥」さんのタッグ名で、「ビューティーペア」と同様レコードを出すなど大人気だったそうです。
レコードを出すなんて、アイドルのような感じだったんでしょうね。
キューティー鈴木さんは、生でクラッシュギャルズの試合を見てから、本気でプロレスラーになることを決意されたようです。
かわいいキューティー鈴木さんが、女子プロレスをやりたいと思うのもすごいですが、憧れをもたせてくれる女子プロの世界もすごいなって思いました。
高校受験の直前に、全日本女子プロレスのオーディションに参加しましたが、身長など応募条件にあったそうです。
身長が条件に満たしていなかったようですが、そのあたりはサバを読んで書き、それがいけなかったのか落選してしまったそうです。
熱意は伝わったとは思うんですけどね。面接など、年齢制限があっても2歳くらいなら超えていても応募したほうがいいとか言いますもんね。
落選後、1985年4月、川口市立川口女子高等学校に入学されました。高校に入学してからも、キューティー鈴木さんのプロレスへの思いは消えなかったようです。
やりたいことが早く見つかるのもすごいですが、その夢を持ち続けるというのもすごいなと思いました。
1986年3月にジャパン女子プロレスという団体ができると聞き、オーディションを受け、見事合格しました。
キューティー鈴木さんのご両親はやはり心配だったようです。
キューティー鈴木さんは学校をやめて専念したい気持ちを持っていましたが、ご両親は「高校を卒業してからでも」という思いだったようです。
ご両親の気持ち、わかります!かわいい娘がプロレス!?って。それはもう心配でたまらなかったと思います。
しかし、キューティー鈴木さんのプロレスに対する情熱は燃え続け、高校を1年間通ったのち、中退しました。
ジャパン女子プロレス入団した後、1986年9月にはデビュー戦を飾りました。
キューティー鈴木さんは、デビューしてから3年くらいは、プロレスができて楽しいと思っていましたとのちに語られていますが、現実を直視すると試合会場にお客さんが全然入らず、売店でモノを売ってお金を稼がないと、その日の晩ご飯が食べられないような毎日だったようです。
1989年から経営を立て直すためかわかりませんが、ジャパン女子プロレスがキューティー鈴木さんをアイドルのような形で売り出すようになりました。
1989年7月20日号『週刊ヤングジャンプ』(集英社)の表紙を単独で飾り、歌手としてもデビューしました。
憧れていた「ビューティーペア」や「クラッシュギャルズ」と同じようなアイドル的活躍の始まりですね。
プロレスの試合や練習、それに芸能活動が加わり休む間もないくらいの忙しさだったでしょうね。
その後ジャパン女子プロレスは経営を立て直せず、1992年1月26日、熊谷大会を持ってジャパン女子は解散しました。
この時キューティー鈴木さんは23歳でまだまだ若く、プロレスを止めることも考えたようですが、新たな団体JWP女子プロレスに入団しました。
今度は自分が引っ張っていく番だと、積極的に活動されていました。多くの試合に出たり、試合スタイルの違ったものに慣れていったり、多くの経験をしそれを後輩たちにも伝えていたようです。
教える立場になるとまた大変ですが、楽しくなりますよね。実践で覚えたことを伝えるのは難しかったと思います。
やるべきことはやった、後輩たちに教えることは何もないと1998年10月15日、引退を正式に表明し、12月27日29歳で後楽園ホールにて現役生活を終えました。
引退後も芸能関係の仕事は引き続き行われていたようです。
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