今年の8月からのリオオリンピックへの出場権が決まったり、選手が決まったり少しづつ実感が湧いてくるようになってきました。

夏のオリンピックも盛り上がりますが、冬のオリンピックも盛り上がりますよね。どのスポーツも一生懸命な選手を見ると、清々しい気持ちになります。

20日(金)放送の「爆報!THEフライデー」に1998年2月開催の長野オリンピックにアイスダンス日本代表として出場した【河合彩】さんが出演され、乳がんを患い手術されていた事や結婚などについて話してくれるようです。

長野オリンピック応援していた記憶はありますが、選手の名前は全く覚えていません。今日は河合彩さんについて調べてみようと思います。

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河合彩、プロフィールや経歴は?

河合彩

名前:河合 彩(かわい あや)

生年月日:1975年4月4日(41歳)

出身地:東京都杉並区

身長:165cm

血液型:O型

オリンピックに出るほどの実力をお持ちの河合彩さんですが、出身地は東京都なんですね。雪国出身の方が多いのはスキーなどの競技ですかね。

河合彩さんがフィギュアスケート・シングルを始めたのきっかけは友達の影響で、7歳の頃だと言います。フィギュアスケートといえばジャンプですが、河合さんはジャンプが跳べなかったようです。この事から、13歳でフィギュアスケート・アイスダンスに転向されました。

始めは真面目にやっていなかったようですが、後のコーチとなる東野章子・松村達郎組のアイスダンスの演技を見てアイスダンスに深くはまっていったと言います。

河合彩さんは、青山学院中等部から高等部に進学され、16歳の時にその松村達郎さんのコーチにつき長野オリンピックを目指す日々が始まりました。高等部を無事に卒業された河合さんは、青山学院大学文学部教育学科に入学し、その在学中1994年から田中衆史さんとペアを組み始めました。

田中衆史さんについて

田中衆史

少し、お若い時の画像ですね。1972年5月29日生まれの43歳です。神奈川県横浜市出身で東洋大学を卒業されています。

田中衆史2

身長が180cmあるようで、165cmの河合彩さんとバランスよく氷上で踊ることができそうなバランスですね。華やかに見えます。

河合彩、長野オリンピック出場とその演技は?

河合彩さんと田中衆史さんは、オリンピックまで松村コーチの元アイスダンス漬けの毎日を送られたようです。まず目指すのはオリンピックに出場することでした。というのも、その当時アイスダンスでオリンピックに出場したことがあるのが10年前ということで、出場するのも困難な狭き門だったようです。

しかし、夢を掴み1998年アイスダンス日本代表として長野オリンピックに出場されました。河合彩さん、22歳の時でした。その時の映像をご覧ください。

アイスダンスって優雅な感じですよね。二人の息が合っていないと、綺麗に見えないし、難しそうですね。河合彩さんと田中衆史さんのペア、長野オリンピックでの成績は23位でした。世界のレベルは高いんですね。それでも出場できたのは、お二人にとってすごく貴重な経験になりましたね。

河合彩さんは長野オリンピック出場後、1998年4月に現役を引退しました。精一杯やりきったというものではなく、経済的な理由からのようです。スケートを続けるには多くのお金がかかります。個人で出していくのは大変でスポンサーも見つからないため、やむなく引退されたようです。

その後河合彩さんは1999年に日本テレビに入社。アイスダンスの選手時に接したアナウンサーという職業に憧れアナウンサー試験にチャレンジしたそうです。当初は希望通り、女子アナウンサーとして、ニュース番組やスポーツ番組を担当していたようですが、2001年にスポーツ部に異動、その後2002年12月には日本テレビを退社されています。退社理由は、スポーツ部に異動しやっぱり自分はスポーツが好きだと再確認され、今まで長い期間関わってきたスケート界にコーチとして戻りたいというものだったようです。

コーチになるために英語力を磨くため、カナダへ留学したり、帰国後はコーチとして就職先がなくベンチャー企業へ就職されたりと様々な経験を積まれたようです。スポーツ選手の引退後を支えたいと、2010年にはコンサルティング会社を設立、自分の成功がみんなのお手本になると、2011年には芸能事務所に所属し競技の解説、タレント活動、フリーアナウンサーとして活躍されています。

そして、いろいろ経験し実績を積み上げてきたところに、乳ガンという病が立ちふさがりました。

河合彩、乳ガン闘病、支えの彼との結婚については次のページで!